全国総合開発計画(一全総)は、昭和37年に閣議決定された国土計画である。
当時の社会背景として、戦後復興から経済成長期に移行したこと、大都市と地方の所得格差の拡大や過密と過疎が顕在化したこと、また池田内閣が国民所得倍増計画を策定したことから、これらの是正と実現のため、「地域間の均衡ある発展」を基本目標に掲げて策定された。
一全総では、①京浜、中京、阪神、北九州の四大工業地帯の過大是正を企図して鹿島、東三河、周南など太平洋沿い6地域を「工業特別地域」として整備し、一大重化学工業地帯を形成した太平洋ベルト地帯構想、②拠点開発方式を掲げて工業特別地域に指定されなかった地域への工業地帯整備を目的とした、全国15地域の「新産業都市」の指定が実施された。
全国総合開発計画は、所得倍増計画を受けて高度経済成長を実現するために策定された太平洋ベルト地帯構想(=経済合理性の追求)に対して、非太平洋ベルト地帯や自民党からの反発を受けて、地域間格差の過大是正(=社会的安定)を目的として策定された(*1)。全国21か所での工業地帯の整備によって、農村部の人口が給与水準の高い二次産業に吸収された事で地域間経済格差は縮小したが、経済成長が早すぎたことで大都市圏への人口流入は加速し(*2)、重工業の生産性向上(省人化)が予想を上回るスピードで進展したために新産業都市指定地域への人口流入は計画を下回るなどの課題を残した。
*1) 菊地 裕幸「地域開発政策の論理と帰結 : 一全総・新全総を中心に (上)」『地域総合研究』39巻、2011年12月、54頁
*2) 下河辺 淳「戦後国土計画への証言」日本経済評論社、1994年、93頁