私たちは日々の生活で、「今日は卵が高い」「雨で電車が遅れている」「病院が混んでいる」など、目の前の現実に目を向けながら暮らしています。しかし、そうした日々の積み重ねの背後には、国家が持つ6つのチカラ――経済、資源、技術、防衛、政治、文化が、目に見えぬかたちで作用しています。そしてこれらの力は、どれか一つが欠けても、国の持続可能性を脅かすほどの連鎖を引き起こします。いま、私たちは「当たり前」を支えるこの土台が少しずつ崩れている現実と向き合わなければなりません。
経済力とは、国民の所得、資本などによって構成される、「豊かに暮らすための余力」を意味します。この力が衰えれば、給料が上がらず物価だけが上がり、日々の暮らしに余裕がなくなります。海外から必要な物を高値で買わざるを得ず、国内産業が競争力を失い、世界的な地位も下がっていきます。現実に、1995年から日本の経済はほとんど成長せず、世界に占めるGDPシェアも大きく落ち込んでいます。これは単なる数字ではなく、「これからも安心して生きていけるか」に直結する問題です。
食料、水、エネルギー、そしてものづくりの原材料。これらが安定して国内にあるかどうかは、国の自立にとって決定的です。資源を他国に頼りきっていれば、輸入が滞った瞬間に、私たちの生活は麻痺します。安定した電力供給が失われ、食料が確保できなくなる。――こうした事態はすでに現実のものとなりつつあります。一方、日本には広大な海があり、海底資源の潜在力は高いと言われています。また日本の戦後復興と高度経済成長の原動力である日本最大かつ世界最大の資源こそが「1億の日本国民の頭脳」です。しかし、それを活かす体制が整っていなければ、「眠れる宝」にすぎません。
電気・ガス・水道、交通、医療、インターネット――こうした社会のインフラを支えているのは、日進月歩の技術です。技術力は、目に見えないところで日々の生活と国の競争力を支えています。日本はかつて技術立国と呼ばれましたが、近年は科学技術分野で他国に抜かれつつあります。公共投資は縮小し、研究論文の評価数も大きく後退しています。技術力の低下は、単に「便利さ」が失われるだけではありません。まさに今現在も着実に公共インフラの老朽化・災害時の対応力の弱体化、働く場の減少、高額な他国の技術の購入による富の流出が進行しています。
平和は願うだけで維持できるものではありません。国防力とは、軍事力だけでなく、宇宙・サイバー空間に至るまで国の主権を守る備え全体を指します。この力がなければ、他国に脅されても何も言えず、有事の際には国民を守る術もなくなります。自国で防衛装備を生産できなければ、武器さえも高額で外国に頼るしかなくなります。領土問題、拉致問題、スパイ行為への脆弱性――これらはすでに進行している課題です。国防とは、「戦うため」ではなく、「戦わずに済むため」の力なのです。
政治とは、国家という船のかじ取り役です。税制、治安、外交、教育、福祉など、社会のあらゆる分野を統括し、他のすべての力を活かす調整役を果たします。しかし政治が弱まれば、社会の分断は深まり、必要な人に支援が届かず、国家の決定力そのものが薄れていきます。実際、日本では一部の層に有利な税制が続き、国際的にも自国の文化や立場を守ることに苦慮しています。政治の廃退は、「貧困と孤立による社会の廃退と治安の悪化」「経済・技術・資源・防衛・食糧、ありとあらゆる分野における他国からの搾取に対抗できずひたすら貧困化」など「国全体の意思決定があいまいで、守るべきものを守れない状況」を招きます。政治の劣化により、静かに、しかし確実に、国そのものの根幹は揺るがされているのです。
文化は、社会の「こころ」です。文化が安定していれば、人々は社会と自然に関わり、安心感や信頼関係を得られます。逆に文化を失っていくと、人間関係や地域社会は希薄になり、孤立や不安、他者への無関心が広がります。現在の日本では災害後の支援遅れや政治離れ、出生率の低下などがその兆候として見られます。文化は自然に成るものである一方、教育や安定した社会構造によって守られるものです。経済力だけでは人は豊かになれず、文化を意識的に守る姿勢が求められています。
国のチカラとは、私たちの暮らしを支えるインフラであり、将来の希望を描くための設計図でもあります。けれどそれは、自然に維持されるものではなく、世代を超えて、気づき、学び、選び取り続けなければ失われていくものです。「難しいから」と遠ざけてしまえば、誰かが勝手に決めたルールの中で生きるしかなくなります。逆に、少しでも関心を持ち、自分ごととして捉えたとき、社会は静かに変わり始めます。未来をつくるのは、特別な人ではありません。何を大切に思い、どう暮らしていきたいかを考える一人ひとりの意志こそが、国を形づくる最も大きな力です。
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